先日の事
NHKニュースをぼんやりと見てましたら変な表現がありまして
あぁ、NHKでも間違うんだ。と思ってたら番組の最後に訂正入りました
その内容は、"残雪が残る"という一言
まぁ、そこまでピリピリしなくてもいいと思いますが
日本語の表現で違和感を感じる時は変な感じがしますね
例えば、"全然~"
この表現は、"全然~"の後に必ず否定要素を挟まなければなりません
TV番組で料理を食べた後、食べた人が
"全然美味しいですねぇ~"とよく聞きますが
それだと不味いような印象しか受けません
"全然不味くない"というのが正解です
全然とは、全て然りの事ですので
言い換えると"全てそうである"となります
この"全て"とは、"予想をしていた未来"の事です
では、当てはめますと
食べる前から予想していた
→食べると美味しかった
で、あまり強調の意味を成しません
食べる前は不味そうと予想していたけど
→食べると美味しかった
と、事前に否定を入れることにより印象に残るのです
さて、話は変わりますが
小学生に慣用句の意味を問う国語の問題で
"海老で鯛を釣る"の意味を"高価な物で高価な物を手に入れる"
と回答したのが意外と多かった、というデータがありました
そりゃ、海老は海老でも
伊勢海老で鯛を釣れば豪華なもんですが
実際は、"安価な物で高価な物を手に入れる"です
しかし、最近ではこの問題は上記のどちらでも正解らしいのです
この様に、時代背景で慣用句の意味すら違ってくると言うのは
素晴らしいというか、逞しいというか、嘆かわしいと言うか…
同じように"犬も歩けば棒に当たる"
これも語意が謝って解釈されている代表で
一般の意味で考えるなら、なぜ"棒に当たる"なのか不思議になります
この言葉は古く鎌倉の武士の原型になった荘園の守人が元で
領主に忠実に働く守人を"犬"と表しています
荘園領主内では力により管理しますが
その横暴さが目立っても民は何も出来ません
しかし、領土を出て権力も何も無い所に行けば棒で殴られてしまいます
ここから、"犬は迂闊に外に出歩くと殴れる"という言葉が生まれ
今の"犬も歩けば棒に当たる"に転じたのです
だから、正確には"外に出ず、じっとしているのが良い"という意味です
また、有名な慣用句では"弘法筆を選ばず"があります
元々、四国霊場八十八箇所を作った弘法大師の実話です
弘法大師は書道の名人で、ある寺で地元の住職が弘法大師に
噂の腕前を是非見せて貰えないかと迫り掛け軸に一筆設けたのが始まりです
この時、寺の住職が弘法大師に気をきかし
"どうぞ、一番書きやすい筆をお使い下さい"と多数の筆を用意したのですが
弘法大師は一言"私は、この長年使ってきた筆が一番なのです"と答え
それが"弘法筆を選ばず"の元になったのです
"上級な技術を持つ人ほど、自分なりの拘りを持ち一つの物を使う"
というのが、正しい意味なのです
このように、知らず知らずのうちに
本来のとは違う意味で使ってしまっている言葉が多数あります
興味が湧いたならば、色々と調べてみるのもいい勉強になるかと
で、↑の内容のほどんどがデタラメ、と…